「頑張れない」就活生、奮起する。

私の「将来の夢」を書く欄は、獣医師になることを諦めた小学六年生の終わり以来ずっと空白だった。

元々自己評価の高いほうではない。自分のやりたいことや将来に対する展望が、うまくいくと思ったことはあまりない。日常会話で「将来どんなことがしたいの?」と聞かれたら、数秒悩んでみたあとに「お金持ちになりたいですね」なんて言ってへらへら笑う。
そんな私であるので、就職活動はかなり苦労した。自分なりに自身の適性を見て向いていそうな職種をピックアップし様々な企業にエントリーしたのだが、どこも箸にも棒にも引っかからなかった。

うまくいかなかった理由は単純だ。私は周りの就活生に比べて圧倒的に、頑張っていなかった。
この頑張る、というのは無形の精神論的な努力ではなく、キャリアセンターや新卒応援ハローワークに通って就職活動のプロの元で面接の模擬練習を繰り返すとか、エントリーシートを添削してもらうとか、きめ細やかな企業研究を行うといったような、具体的な目標達成のための行動である。そういったことを私はあまりやってこなかったのだ。
私の隣で「以前から〇〇業界に興味があり」「私の〇〇という強みが御社でなら活かせると思い」と意気よく、少し早口に語る就活生たちは、その振る舞いが初めからできたわけではないだろう。みんな水面下で自分を磨き上げてから一枚限りの新卒カードを握りしめて面接の舞台にやってくる。そんな中、研磨の足りない私が選んでもらえるはずもなかった。
私はこれに自覚があったが、どうしても頑張れなかった。なぜかというとやはり簡単なことだった。私が選んだのは「自分に向いていそうな企業」ではあったけれども、「自分のやりたいことができる企業」ではなかったからだ。

私は昔から小説を書くことが好きだった。物心ついたのと、ものを書き始めたのとが大体同じだったというくらいに、今までの人生は書くことと共にあった。自分が手にしている能力の中で、一番努力して伸ばしてきた部分はそこであると言える。にもかかわらず私は就職活動で「書くこと」にまつわる仕事を一切選択肢の中に含めていなかった。人生の中で一度も、将来の夢に「作家」と書いたことはなかった。好きで、大事で、得意なことだからこそ、夢として掲げてしまうことを恐れていた。そもそも「将来の夢」という言葉がよくない。まるで選ばれし者にしか叶えられないのが前提のような言い方だ。

しかし、就職活動の苦境が続くにつれて「本当にやりたいのは書くことではないか」という思いが膨れ上がっていき、半ば逃げを打つような気持ちとともにWantedlyでライターや編集の新卒採用・インターンの募集を探し始めた。いくつかの企業とコンタクトを取りそのうちの一社からぜひ面談をしたいという申し出を受けた。メッセージをやり取りしていく中で、担当者の方が私にこう言った。
「事前に拝見できる文章があれば、お送りください」
私は焦った。書くことが好きで、書いてはいるが、趣味でやっているものはとてもではないが企業の採用担当者にはお見せできない。みんな、学生時代に作っていたフリーペーパーがありますとか、私のブログがこれです週に何PVですとか、恐らくそういうことを言うのだ。そういうの、何もないぞ。慌ててお世話になっているゼミの先生にアドバイスを乞うた。
「何かアピールできるものを新たに出したらどうかな。そのメディアに掲載するつもりで記事を書いてみるとか」
なるほどそれしかない。その企業は転職支援アプリを運営していたので、社会人の友人に頼んでインタビューをさせてもらい、疑似的な求人紹介の記事を一本書いて送付した。その後も選考の一環でインタビューをするとなれば様々に準備して挑んだ。端的に言うと、私はやっと頑張ったのである。

結果、私はその企業――株式会社Mewcketのライターインターンシップに参加できることになった。同社が運営するMewcketは先述した通り転職支援アプリで、人工知能が求職者であるエンジニアの志向や興味関心を分析し、その人にマッチした企業を紹介する仕組みになっている。さらに大きな特徴として、求職者は「プロダクト」、つまりその企業がどんなことをやっているかを見て企業を選ぶことができる。
就職活動をなかなか頑張れなかった私が、転職アプリをつくる企業でインターンをすることになるというのも不思議な話だ。Mewcketの小林社長は、「すべてのエンジニアがやりがいをもって、やりたいことができる環境を作りたい」と言う。単純な感想だが「そうなったらすごくいいよなあ」と私も思う。
良い環境でやりがいある仕事をしている人が増えれば、それぞれのパフォーマンスも上がって世の中が前向きなエネルギーで回るようになるに違いない。私が「書くこと」でそのお手伝いをさせてもらえるのなら、それはとても喜ばしい。

望むこととやれることが必ずしもイコールではないという話もあるだろう。けれど、やりたいこととやりたくないことで言えば、人は絶対にやりたいことのほうが頑張れるはずだ。「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」は同じことわざ辞典に載っている。どうせなら、前向きなほうを信じたらいい。

私の体験はほんの小さなもので、今はまだ未来へのスタートラインに立ったばかりである。「望んだことができるのは選ばれた人だけなのではないか」そんな不安は常に付きまとう。
けれども私は何とか足搔くだろう。力を振り絞ってより良いものを書こうと必死になるだろう。なぜならこれは、あれこれ自分を誤魔化しながら心根ではずっと願っていた、私の「本当にやりたいこと」なのだから。